九条院アリスは、坂の上にある瀟洒な邸宅に、母と二人で暮らしている。
母の名前は、九条院ラミア。金髪碧眼、プロポーションは抜群で、アリスが妙齢に達すれば、き
っと瓜二つになるであろうという美貌の女性だ。
ただし性格はまるで違う。妖艶にして奔放、稚気に溢れ、きわめて狡猾な一面も隠している。
どこか、狐のような人なのだった。
そんなラミアには、放蕩癖があり、あまり家には帰ってこない。だからこの大きな洋館に、アリ
スは一人暮らし同然に住んでいるというわけだ。
広い庭には、白い屋根のテラスがある。
アリスはそこで、脚を組んで円卓に座り、ラミアと電話をしているところだった。
話題はもちろん、今日あったこと。
『へえ〜、アリスのクラスメイトって、変な子ばっかりなのねえ』
「変っていうか、いやらしいんですよ怜奈さんは。学生の身分でありながら異性にあられもない姿
を晒すなんて……信じられません」
『まあでも、普通じゃない? 最近の中学生だったらみんな、えっちなことくらいしてるんじゃない
かしら?』
「ふ、不純です! そんなのっ!」
『……すっごい潔癖性よねえ、アリスって』
「当然です。大和撫子ですから、私」
『金髪碧眼じゃないの貴女』
「金髪碧眼の大和撫子なんですよ。なにか文句があるんですか?」
得意料理は和食だし、茶道華道も嗜んでいる。お琴だって弾けるし、その他諸々……見た目
だけの大和撫子などよりも、ずっとらしいはずだという自負がある。
ふと……『花嫁修業』、そんな単語が脳裏を過ぎった。
アリスはそこから『結婚』という単語を連想してしまう。
「…………」
『どうしたのアリス? いきなり黙り込んじゃって?』
「いえ……なんでもありません」
『もしかして、えっちなこと考えてたの?』
「なんでそうなるんですかっ!?」
『あらぁ、慌てるところが怪しいわね。ママの千里眼には見えるのよ……幼さの残る身体をもて
あましたアリスが、三月くんのことを想いながら、お庭でいけない遊びに耽ってしまうところ』
「自分の娘でいかがわしい妄想をしないでくださいっ! しかも外でって、どんな変態ですか私!?」
『だってお庭の方が興奮するじゃない』
ラミアは経験者みたいなことを言った。
アリスは自分がからかわれていることにも気付かず、その美貌を紅潮させてしまう。
「この……変態っ! 変態っ!」
『冗談だってばぁ、相変わらず可愛いわねえアリスは』
「うぅっ……も、もう、切りますからねっ!!」
『あん、つれないのね。でもいいわ、どうせ近いうちにいっぱい話せるんだもの』
「えっ? それって……」
アリスが一瞬怒りを忘れ、驚きと期待に瞳を大きく開く。
ラミアが、弾んだ声で言った。
『うんっ、近いうちに帰るから、楽しみにしててね〜』
「……それで、今度はどれくらい家にいられるんですか?」
ラミアは困ったような声で『ごめんね』と言った。
『最近ちょっとごたついてて、一日しか家にいられないのよ。貴女には寂しい思いさせちゃって、
本当に悪いと思っているわ』
「いえ、別に。いつものことですし……構いませんけれど」
自分でも分かるくらいに拗ねた声が出てしまった。一人暮らしは気楽だ、そうは思うけれど、や
はり家族というのは一緒にいるのが自然だと思うのだ。
お互い、たった一人の肉親なのだから。
「それより、いつ帰ってくるんですか? ちゃんと日付を言ってくれないと、こっちにだって色々と
用意があるんですから」
『そーねぇ、今日のお夕飯は、一緒に採れると思うけれど』
「ええっ!? もうっ、いつも急ですねお母さんは」
と、怒りつつも、内心では嬉しく思う。
なにしろ親子が揃う数少ない機会なのだ。久方ぶりの帰宅を、せいぜい楽しいものにしてあげ
るとしよう。
(私ったら、なんて親孝行な娘さんなんでしょう)と、アリスは心の中で自分を褒め称えた。
「そうですか。では、今夜は腕を振るいましょう。何か食べたいものはありますか?」
『わお、アリスの手料理なんて久しぶりだわ。貴女の作るものならなんでもいいわよう、だって全
部美味しいもの』
「ふふんっ、当然です」
得意げに目を瞑るアリス。料理は師匠――三月の祖母に、たんまりと仕込まれているのだ。
その辺の主婦ごときには、まったく負けるつもりはない。
『いい奥さんになれるわよ、貴女。うふふ――本当、三月くんも果報者ねえ』
「…………」
『あら、また黙っちゃった。どうしたってのよ、さっきから』
どうして今日に限ってこう――誰も彼もアリスに『結婚』をイメージさせる話題を振ってくるのだ
ろう。なにか恨みでもあるのだろうか。
電話を切った頃には、せっかく心の奥底に押込めていた三月とのやりとりが、先ほど以上の羞
恥心を燃え上がらせながら、すっかり復活してしまったのである。
そうして。
自分の部屋に戻ってきたアリスは、頭の中をぐるぐる回る『三月の台詞』に、完全に翻弄されて
しまっていた。
「な、なにがいっぱい子供つ、作ろうね、ですかっ……! あの人は、ほんッとにもうっ!」
顔が、かっかと熱い。その原因は、きっと怒りだけによるものではなくて、自分でもそれは分か
っているから、余計に悔しいというか、腹立たしい。
「ほんとにもう……っ」
ぷんぷんと頭から湯気を立ち上らせながら、制服を脱いでいく。スカートを下ろし、シャツのボタ
ンを外し、純白のブラとショーツのみを身に付けた下着姿になる。
すでに着替えは用意してあったのだが、アリスはそのままベッドに倒れ込んだ。
ぼふん、とふかふかのベッドに身体がめり込む。
「はぁっ、バカじゃないですか……ばっ、バカじゃないですか……」
彼と交わした結婚についての話題を頭の中で反芻しながら、アリスはタオルケットを抱きしめ
て、ベッドの上でごろごろと悶える。
いまアリスの脳裏では、三月との新婚生活が、やたらとリアルに再生されていた。
三年後――身長が伸びて、精悍な顔つきになった三月。そして、やはり身長が伸びて、おっぱ
いも大きくなって、大人っぽい色気を纏ったアリス。二人がこの家で、一緒に暮らしている。
それは手を延ばせば届きそうな未来。近い将来にやってくる、現実だ。
――ぎゅっと心臓が収縮した。
そして――さらに先、まだまだ実現するには遠い未来にまで想像を巡らせる。
(子供……三月くんと、私の……?)
三月の傍らに侍り、赤ん坊を抱いて幸せそうに笑っている自分。
そんな光景が、いつか現実のものとなる日が来るのだろうか。
「…………バカ。わ、わわ、私、なにを、考えて……」
茹で上がったように顔は赤く、息は荒い。
「はぁっ……もぉ」
深呼吸をして息を落ち着けていると、ふと枕元に視線がいった。
そこには、去年の誕生日に三月からもらったうさぎのぬいぐるみが、ちょこんと座っている。
どことなく三月に似ている彼は『ミトくん』といい、とある大企業のマスコットキャラクターでもあ
る。
アリスはミトくんの顔面を両手でわしづかみにして、自分と同じ顔の高さでこちらを向かせた。
そうして、ベッドの上で正座をする。うさぎのつぶらな瞳を、真っ直ぐに覗き込む。
「結婚……ねえ。ふん……私と、貴方が?」
いつものようにミトくんを三月に見立て、語りかけてみる。
目を瞑り、結婚式の光景を想像してみた。ヴァージンロードを歩く二人――ウエディングドレス
を着た自分と、タキシードを着た三月の姿が、頭の中に浮かび上がる。父と母の結婚式を収め
たビデオテープを何度も見たことがあるから、とてもリアルに想像できた。
神父が述べる式次第も、だいたい覚えている。
アリスは、まるでこれから本番の結婚式に臨もうとしているかのように緊張してしまう。
「……ふぅっ」
一度呼吸を整えてから、消え入るような声で、長い台詞を紡ぎはじめた。
「あ、貴女は、その健やかなときも……病めるときも、豊かなるときも、貧しきときも……この男
性を愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け……その命のかぎり、かたく節操を守ることを誓
いますか……?」
アリスは、震える声で「……誓います」と囁いて、三月の顔と向かい合った。
そして――

ちゅっ、と唇が重ねられる。胸の中に、幸せがいっぱいに広がっていく。
「……ん……」
唇を離し、潤みきった目を開けると……
そこに三月の姿はなく、うさぎのぬいぐるみしかいない。
部屋の姿見に映っているのは、子供っぽい、未成熟な自分の身体。
「…………ふん」
急にばかばかしくなってきた。
「はぁ……あぁ〜あ、ばっかみたいです、私」
アリスは、ミトくんの両頬を指で引っ張りながら、ごろんと仰向けに寝転がる。
そのまま窓の方に寝返りをうつと、
目が、合った。
「ひぃっ!? お、おおお……お母さん……!?」
「…………は、はぁい。アーリス、さっきぶりぃ、元気してた?」
金髪碧眼の美女――ラミアが、カーテンの隙間から現われた。豊満なボディを、胸元が大きく
開いたパンツスーツに包んでいる。彼女は、気まずそうに頭をかきながら、言い訳を述べた。
「いやあの……せっかく久しぶりに帰ってきたもんだから、ちょっぴりアリスを脅かしちゃおっかな
ーと思って、カーテンの後ろに隠れてたのね。そしたらさぁ……いやぁんもぉ〜〜出るに出られな
くなっちゃって……その、ごめんネ♪」
そう、つまり先ほどラミアは、この部屋でアリスと電話をしていたのである。
カーテンの裏に、隠れて。
(あ、ああああ……なんという誤算……! この私が、九条院アリスともあろうものが……っ)
「どっ、どどど、どこから見てたんですか……!?」
絶望的な表情で、アリスは問う。当然、予想された最悪の答えが返ってきた。
「ええっとぉ……ぜ、全部かなっ。子供いっぱい作ろうねってとこから、誓いますちゅーまで」
「ッ!!」
「な、なんていうか、さすがのママも赤面しちゃったわよ。まさか娘の、これほどまでに恥ずかしい
シーンを目撃しちゃうなんて思わなかったわ……なんでビデオ持ってなかったのかしら私」
瞬間、引きつったアリスの表情が、涙腺とともに決壊し――
「いやああぁぁああああぁあああああぁあああああああああんっ!!!」
少女が恥じらう絶叫が、室内に轟いたのであった。
【九条院アリスのなんでもない一日】 ―― END
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